アンマー

2009年5月10日 日常
今日は母の日ですね。


え~っと私は旦那の母親にも私の母親にも、結婚して初めての母の日にしただけで、その後全然何もしてません。

今回もしません。


1回目は張り切って選んで贈った記憶があるんですが、翌年から自分らの生活の日々に精一杯でプレゼントし忘れてから そのまま流されてきましたって感じです。


最近はそのほかの理由がはあるちゅーいえばあるんだけど、親不孝者です。



旦那の方は知らないけど、私んちとしてはプレゼントを贈ったり贈られたりなどの行事などはほとんどしない家族でして、私が小さい頃友達のを真似て誕生日会を母にお願いして、「友達数人呼ぶからそれ用のご飯とかお菓子とかを用意してて」と頼んだ記憶が1~2回あったかなって感じ。



お雛様とか端午の節句等は昔からの風習として祖父母が生きてた頃はやってたくらいで(以前に書いた小さい頃のひな祭りの話は祖父母が生きてた時でした)、
とにかく私ん家は今風の母の日、父の日、家族それぞれの誕生日など、ファミリーファミリーしたおパーティーみたいな感じのお祝い事はしてなかった。




アニキは適当なところで羽目を外して遊んでたようだが、小心者の私は反抗期はあったもののグレルことも出来なかった中途半端な人間だったんですね。


働くようになってストレスとか溜まったら当たるところは大体において母親でしたね。
若いころは自分のことの方ばっかり目を向いてて、親の気持ちなど考えた事はなかったし知らなかった。
だから母親には相当キツイ言葉を投げかけましたね。
私に散々嫌なことを言われた母はいつも泣いてました。


結婚して、親と離れ、夫婦二人で生活して初めて親の苦労が少しわかりました。
私ら夫婦には子供が居ないので、まだまだ親の苦労を理解出来てませんが。








ある人のある歌の歌詞一部抜粋








我が家はあの頃からやはり 裕福な方ではなく

友達のオモチャや自転車を羨ましがってばかり

少し困ったような顔で

「ごめんね」と繰り返す母親のとなりで

いつまでもいつまでも泣いたのを覚えてます



アンマーよ アナタは私の全てを許し

全てを信じ全てを包み込んで

惜しみもせずに 何もかもを私の上に注ぎ続けてきたのに

アンマーよ 私はそれでも気付かずに

思いのままに過ごしてきたのでした




アンマーよ 私はアナタに言ってはいけない

決して口にしてはいけない言葉を

加減もせずに投げつけてはアナタの心を踏みにじったのに








なんか心に響く詞だった。
抜粋して書いた部分は色んな意味で胸にキュンと来て涙が出てくる部分です。

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