親子って。。。。続く up
2008年1月21日コメント (4)今日 日帰りで旦那のお母さんのお母さん(旦那の祖母)の告別式に出席してきた。
今回の出席でちょっと考えららされたことがあった。
明日にでもこの続きをここに書くつもり。
きのう書いた旦那の両親に対しての想い・・・・ちょっと書きすぎたというか、思い違いしてたとこがあったように思う。
少し反省。
でも旦那の両親と別居してるからそう思い直せれたんだとは思う。
基本的にお互い合わないタイプだと思う。
でも親の想いっていうのを別の意味で知ったように思う。
確認行為は旦那の協力と気になる最低のものはベランダ行きでしのげたかな(^^;)
家を出たのが午前8時前 式場に就いたのが午前9時は過ぎてた。
旦那の両親似合った時の彼らの言葉・・・・・
「本当に来てくれてありがとう。○○さん(私の名前) ●●(旦那の名前)を来させてくれて有難う」
だった。
旦那がご両親に会った回数・・・・結婚して20年近くでたった5回あるかないかだった。
旦那が帰省するのを嫌がったのだ。
弟の結婚式さえ出席を断ったくらいなのだ。
でもさすが今回は旦那も出席する覚悟はした。
初孫だった旦那は祖父母に随分かわいがってもっらったらしい。
ご両親ともども 「亡くなった祖母が合わせてくれた。有難い」とさえ言ってた。
彼らのこの言葉で、どれほど息子に会いたかったか分かるだろう。
亡くなった祖母は数えで89歳。
その子供はもう50〜60代。
少し離れた身うちや他人から見たら、「長生きしたね」っていう感想だろうと思うけど、やはり当事者としたら親子。
最後のサヨナラするためお棺に入った親の顔を見るたび、顔を近づけては泣いていた。
私も最後の初顔合わせだった亡き祖母の顔を見させてもらった。サヨナラのお花をお棺に入ってる祖母の遺体に添えさせてもらった。
初めて顔を見るし、それほど親しくしてなかったが、亡き祖母の顔が私の亡き父の顔とダブって涙が自然と出た。
恥ずかしながら祖母を見てじゃなく思いだした父の顔を思い出して涙が出た。
式場も大きく、斎場も市営のとこで大きかった。
次の日が友引ということもあって、告別式は何件もあった。
斎場は焼く窓口と言うのか、それが10個くらいあった。
さすがそれだけあったら、ある意味流れ作業的な部分もあって淡々とした感じもした。
初七日もその日に済ませて、式も無事に終わった後、集まった旦那の家族と共にコーヒーを飲みながら会話を交わして、それぞれの家に帰宅することになった。
無事に帰宅したその晩 やはり私のの亡き父の告別式や闘病中の父の顔を思い出して涙が自然と出て泣いた。
闘病した人も死んだあとの顔は安らかだと言う。
ある意味私もそう思う部分もあるが、やはり嫌いだ。
私の父は脳梗塞を数回繰り返して、脳の死んだ人間の顔は一変する。元気なころの顔と違って、どう表現したらいいのか、表情も乏しくなるし精気というか、そういう物がなくなる。
私の父は最後の方は思考能力もなく言葉もちゃんと発せられず、かわいそうな姿だった。
それでもやはりお棺に入った死んだ父の顔より、何も分からなく思考能力の無くても生きてる時の父の顔が余程数倍もいいと思った。
斎場(いわゆる焼き場)で人間を焼いて骨となって出てきた時の独特の匂い。
高温で焼くこともあって私的には嫌いでもないのだが、姑が言うには、その匂いは喪服に染み付いてすぐクリーニングに出さないと取れなくなるらしい。
今回の出席でちょっと考えららされたことがあった。
明日にでもこの続きをここに書くつもり。
きのう書いた旦那の両親に対しての想い・・・・ちょっと書きすぎたというか、思い違いしてたとこがあったように思う。
少し反省。
でも旦那の両親と別居してるからそう思い直せれたんだとは思う。
基本的にお互い合わないタイプだと思う。
でも親の想いっていうのを別の意味で知ったように思う。
確認行為は旦那の協力と気になる最低のものはベランダ行きでしのげたかな(^^;)
家を出たのが午前8時前 式場に就いたのが午前9時は過ぎてた。
旦那の両親似合った時の彼らの言葉・・・・・
「本当に来てくれてありがとう。○○さん(私の名前) ●●(旦那の名前)を来させてくれて有難う」
だった。
旦那がご両親に会った回数・・・・結婚して20年近くでたった5回あるかないかだった。
旦那が帰省するのを嫌がったのだ。
弟の結婚式さえ出席を断ったくらいなのだ。
でもさすが今回は旦那も出席する覚悟はした。
初孫だった旦那は祖父母に随分かわいがってもっらったらしい。
ご両親ともども 「亡くなった祖母が合わせてくれた。有難い」とさえ言ってた。
彼らのこの言葉で、どれほど息子に会いたかったか分かるだろう。
亡くなった祖母は数えで89歳。
その子供はもう50〜60代。
少し離れた身うちや他人から見たら、「長生きしたね」っていう感想だろうと思うけど、やはり当事者としたら親子。
最後のサヨナラするためお棺に入った親の顔を見るたび、顔を近づけては泣いていた。
私も最後の初顔合わせだった亡き祖母の顔を見させてもらった。サヨナラのお花をお棺に入ってる祖母の遺体に添えさせてもらった。
初めて顔を見るし、それほど親しくしてなかったが、亡き祖母の顔が私の亡き父の顔とダブって涙が自然と出た。
恥ずかしながら祖母を見てじゃなく思いだした父の顔を思い出して涙が出た。
式場も大きく、斎場も市営のとこで大きかった。
次の日が友引ということもあって、告別式は何件もあった。
斎場は焼く窓口と言うのか、それが10個くらいあった。
さすがそれだけあったら、ある意味流れ作業的な部分もあって淡々とした感じもした。
初七日もその日に済ませて、式も無事に終わった後、集まった旦那の家族と共にコーヒーを飲みながら会話を交わして、それぞれの家に帰宅することになった。
無事に帰宅したその晩 やはり私のの亡き父の告別式や闘病中の父の顔を思い出して涙が自然と出て泣いた。
闘病した人も死んだあとの顔は安らかだと言う。
ある意味私もそう思う部分もあるが、やはり嫌いだ。
私の父は脳梗塞を数回繰り返して、脳の死んだ人間の顔は一変する。元気なころの顔と違って、どう表現したらいいのか、表情も乏しくなるし精気というか、そういう物がなくなる。
私の父は最後の方は思考能力もなく言葉もちゃんと発せられず、かわいそうな姿だった。
それでもやはりお棺に入った死んだ父の顔より、何も分からなく思考能力の無くても生きてる時の父の顔が余程数倍もいいと思った。
斎場(いわゆる焼き場)で人間を焼いて骨となって出てきた時の独特の匂い。
高温で焼くこともあって私的には嫌いでもないのだが、姑が言うには、その匂いは喪服に染み付いてすぐクリーニングに出さないと取れなくなるらしい。
コメント
そして、お疲れ様・・・
ゆっくり休んでなぁ(^-^)
引きこもりの私には結構疲れたかな。
でも帰宅後だらだら過ごさせてもらったよ〜。
でも一睡もできず、長距離を往復運転した旦那がもっと疲れたと思う。
きっと、表現力が下手なんやろうなぁ。
うちの旦那もそうやけど・・・
思い思いやって、肩を寄せていけたら幸せだよね☆
んでもって、まっちゃんさんとこと違って、私ら愛はもうないっすよ〜。
惰性というか馴れ合いっていうか・・・・・諦め?妥協??って感じと思うんだよね。
まっちゃんさんみたいに「旦那さんがいるから頑張れる」って言える旦那さまで羨ましい☆