乾杯

2007年10月13日
あるラジオのリクエスト曲番組を聞いてたら、結婚する人への歌をと、長渕剛の乾杯の曲がかかった。


ぼんやり聞いていて2番目の歌詞の途中にふと感じた。

この歌のように絵に書いたようなというか歌に歌われるような、理想的な結婚生活を送るカップルってどれ位いるんだろうって思った。


私たちはある事情で大反対をされてたんだけど、孫が出来て性格的に甘くなった父と優しい母の力添えもあって大反対してた兄夫婦の意見を抑えてくれて、何とか入籍を入れることが許可された。

色んな事情と金がなかったのとで結婚式は挙げれず。

貯金もほとんどなかった。
そんな中 母が積み立ててくれてた「なんかの会」の金で、少しだったけど全部くれて洋服たんす一個と食器棚と食卓椅子2曲つきを買えた。

引越しの車も、今CMで放映されてるような引越しやさんの車じゃなくて、ホント普通の運送屋さんに電話してお願いした。
往路は私たちの荷物を積んで運び、復路は違う荷物を運ぶという形の車を使った。

まず私んちで荷物を積み、次に夫の家に向かってそこで夫のほうの荷物を積み、私が運転する車が優先しながら走った。
(その頃はまだ強迫が強く出てなくて運転できてた)

私んちでは父は仕事に出かけていなくて、家で見送ってくれたのは母だけ。夫のほうは両親居たんだったかな。
夫の両親は色んな事情もあって,すぐ私達の後を追って車を走らせてくれた。

私達が住もうとしてる近くに夫の母(姑)の妹一家が住んでて、彼らを含めて引越しを手伝ってくれて簡単に食事をして祝いをした。
姑の妹・・・叔母さん一家には大変お世話になった。
彼らの援助がなければスムーズに引越しが出来てなかったくらいだったと思う。


ウチの方の実家もいろいろあってお金がなくて、母は何もしてあげれなくて悪いといいながらも、運送屋さんに食べてもらう分と私達の分と姑の妹一家への分と赤飯をあるお店に頼んであったみたいでそれを持たせてくれた。
そして実家の庭でのお別れ。

母のアドバイスもあり、引越しが終わったら、運転手さんたちに紅白の紐のついた折に入ってる赤飯と寸志を渡すよう持たせてくれた。

母のささやかな思いが伝わってきてとても嬉しかった。

その時は引越しの方に気が行って寂しいなど感傷に浸る暇もなかったが、今さらながら思うと母の気持ちに涙が流れて止まらないよ。


結婚したいさせないと揉めてた時は、とにかくこの機会を逃せば、私は一生結婚できる相手が見つからないというか、また一から相手探しか。。。など、他 年齢的などいろんなことが絡み合って、夫と一緒になる事を押し進めてしまった。


今になると あの時強引に進めるほど、この人を好きだったのかって、疑ってしまう。

時間の流れってある意味酷だよね。

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