前回最後に書いた、また後でみた夢なんだけど、
男女入り混じって、協力しあってある作業をしてるのよ。
その合間にスポーツゲーム的なこともしたりと順調に夢での時間は進んでいった。

私の中では、自分でも良くやってるなぁと思ってたところに、
ある先輩が、それもとっても優しい先輩の人が溜まりかねてか私に注意した。
「○○さんは、自分から尋ねて来る時は優しくソフトに聞いてくるのに、それ以外でのあなたの言葉はキツイ。何人も傷つけてるから注意しなさい。」
。。。。。。って言われた。

私はそんな区別して言い方を変えてるつもりはなかっただけに、そしてそんな子といわれると思わなかっただけにすごいショックだった。

夢の中でもその後もずっと、そして夢から覚めた現実の世界でも、その注意された言葉がずーっと残ってて凹みまくり。

実は昔 実の兄からも「おまえの言う事はきついんじゃ!!人を怒らせたり傷つけたりする」とよく言われてた。
実は夫にも、同じような事を言われたとこがある。

傷つけるように意識していってるときは自覚があるから注意されてもいいんだけど、大体において自分ではきつい事を言ってる自覚がないだけに・・・・逆に気を利かせて言ってる言葉が、周りの人を傷つけてたり怒らせてたりしてたのかと指摘されたことが、とても、滅茶苦茶、すっごぉーいショックだった。

昨日のその夢から覚めて今でも引きずってる状態。

現実 そのつもりもないのに怒らせるときが多くて、私の中では「なんで この人はこんなんに怒ってるの???????」と怒られて怖い思いと「なんで????????」と納得しない自分がいたりする。
自覚してないまま人を傷つける言葉を発してる私。。。。。。自分ながら怖い。



猫や犬などの動物関係のブログが好きで、勝手に自分のお気に入りに登録して毎日楽しんでる。
老若男女の動物達がいる。

少し前に病気と闘って、状態が悪い中でもまだ生きれると思ってたワンちゃんが突然なくなったという報告のブログを読み泣き、
若いのに治らない病気と闘って今まさに死のうかと予想される猫、またはもう長寿で老衰で死ぬ形をとるだろうけど、その猫も病気と戦ってた猫。

今 その二つのブログを読むのは辛いしキツイ。
特にその二つのうち老齢の猫がウチの先住猫の風貌の感じになんとなく似てるだけに他人事じゃない。

飼い主としてはいつまでも生きてほしいから病院に通って治療をしてもらう。
私も実際そうなるだろうと思う。
ただ単なる老衰での死なら覚悟は出来るけど、病気を伴ってくるとその子達のためにどこまでしてあげられるか考えてしまう。
私達のために一秒でも生きてほしいけど、病で生死をさまよってる動物たちはキツクテ辛い治療をしてまで行きたいと思ってるのだろうか。
最後は楽に死を迎えさせてあげたいと思う。
でもどこがそう思える時期か?
苦しまず死なせてあげたいと思う。
だからといって病院で「安楽死させて」とは言えない。
安楽死じゃない苦痛を取り除いてくれるような薬はないのか?
こんな例えは悪いが末期癌で苦痛を取り除くためのようなモルヒネ投与みたいなのはないのだろうか?

今自分の事でしんどくて、なかなかかまってやれない先住猫。
後輩猫は猫のほうから寄ってくるからかまってやれるんだけど、先住ネコは私達と距離を置いて甘えたい時に呼ぶ。
来るんじゃなくて甘えた声で呼ぶのだ。
でもそういう時限って、手が話せなくてかまって上げれなかったりする。

いまは何とか生きてるからいいけど、最期にに近づくに連れて、あの時もっとかまってやったらと後悔の日々を過ごすんだろうな
と思う。

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